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無国家社会での善悪判断と秩序構築について

善悪の基準は普遍的なものではない。自分が所属する集団によって、それが決まる。「人を殺す事」が人類共通の悪のように見えるのは、それがどの集団でも秩序も乱す事に繋がるからであって、秩序を乱すものを殺す事や、対立する集団の人を殺す事は、寧ろ善である場合も多い。

端的に言うと、善悪というものは、 集団の秩序に貢献するか、乱すか 、ということに過ぎない。

その例として象徴的なのは、少し前にあったフランスのシャルリー・エブド紙襲撃事件だ。

あれは、ムハンマドの風刺画が原因だった。その絵が、2つの集団の秩序に与える影響の差。それかが事件を引き起こした。2つの集団とは、イスラムとフランスだ。

フランス秩序の根底には、「表現の自由」というものがある。それがフランスの秩序を作り上げる一部となっている。あの絵を公表する自由を守ることが善なのだ。

対するイスラム秩序から見ると、ムハンマドはその秩序の根底にあるものだ。風刺画は秩序を大きく乱すもので、悪とみなされる。

一つの事柄について、2つの集団で正反対の見方がされる。善悪というものは、そういうものだ。

それでは、このブログのテーマの一つとしている、無国家社会では、善悪というもの基準は、どうなるのか。むしろ無いのか。

無国家社会での善悪

ここで書く無国家社会は、前の記事でも書いているような、個人がばらばらに存在し、目的ごとに動的に繋がって、アメーバのように形を変えながら最終的に消えていくような集団が無数に存在する世界を前提としている。

無国家社会のベースとなるのは、P2Pネットワークとその上に乗るブロックチェイン技術が進化したものになるはずだ。そうでなくても、人と人の繋がりの部分には、コンピュータネットワークが土台にないと不可能だ。

コンピュータネットワーク上では、「契約」(と書くと事務的な感じになってしまうので、「約束」でもよい)情報の更新とその履行が常に行われ、それが集団の活動そのものとなる。

この「契約」は、個人間や任意の集団内で行われる。そして、それを管理する存在もない。誰でも「契約」を作ることができ(契約情報はP2Pネットワーク上の公開データ、契約の実行はコンピュータプログラムとなる)、内容に何の制限もない。

ブロックチェイン技術により「契約」の改ざんは出来ないが、今日現在、多くの人が「悪」とみなす「契約」を作ったり実行したりすることを防ぐことは出来ない。例えば、麻薬を売買する契約など。

麻薬常用者が増えることは、治安悪化をもたらす。これは、多くの人間にとってデメリットとなるので、全体から見ると、悪と見なすことがてきるだろう。

「契約」の情報とコードは、デジタルデータなので、それがネットワーク上にどのように影響をもたらすかをシミュレートすることが可能だ。

ネットワークに繋がるコンピュータ(人)が、何が自分にとって害になるかを定義することができるとすると、その「契約」の実行が、ネットワーク全体の合計でどれだけの利害をもたらすかを計算することができる。

その全体の利害によって善悪を決定することができるはずだ。

つまり、 ネットワーク全体のコンセンサスで善悪を決定 するということだ。

悪いアルゴリズムを走らせている個人には、暗号通貨が(無国家社会では、単に貨幣としてではなく、コミュニケーション手段としての役割も担うと考えている)渡らないようにしたり、ネットワーク上の活動を制限したりする方法で罰することができる。

これにより、刑罰の代わりとなるものを作ることができ、秩序を作り上げることができる。

ただ、デジタルデータにし辛い事柄については、難しい。

例えば、現実世界での通り魔殺人などは、ネットワークを介さないので、どうしようもない。これについては、別の方法が必要になるだろう。

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