阿倍比羅夫の みちのく集団旅

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ヤバイ予感

7世紀は 大波乱の世紀
その原因は、 唐のジャイアニズム にあった。

唐は7世紀の頭に産まれた。
そして産まれるや否や、足も立たないうちに産みの親である の脇腹に強烈な右フックをぶちかまし、皇帝の冠を頂戴した。

さらには2代皇帝 李世民 がやったあんなことこんなことで、国が安定。
中国大陸の 絶対的センター のポジションをゲットした。

もう勢い余りまくる唐。
絶対的センターだけでは満足しなかった。

「他のポジションも全部オレがやる!秋本康も!ファンも!全部オレがやる!」

ただでさえ図体のデカイ唐が、 アジアで大暴れ を開始した。
もう、通勤ラッシュの埼京線で、白鵬が手すり目がけてぶつかり稽古をしているようなヤバさだった。

とりわけ東アジアにとってヤバかったのは、 唐と高句麗が仲悪すぎ というところにあった。
高句麗は、今の北朝鮮とそのちょい上辺りをナワバリにしていた国。

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そんな大陸から、海を挟んでビミョーに離れた所にある日本。
紀伊半島あたりに浮き輪を引っ掛けて、プカプカ浮きながらお気楽に観戦したい状態だった。

でも、そういうワケには行かない。
日本は朝鮮半島の一番南にある 百済とマブダチ なのだ。

そしてマブダチの北にいる新羅は、 高句麗・百済と犬猿の仲
もう、 唐・新羅連合高句麗・百済連合 のガチゲンカはミエミエな状態。

唐の動き一つでアチコチでドンパチが始まりそうな状態だった。

蘇我ジャパンと中大兄ジャパン

Gango-ji Gokuraku-bo

そんな時期の奈良。
最高権力者の 蘇我入鹿 は、蘇我ジャパンを完成させようとしていた。
蘇我蘇我しい皇族を猛プッシュ蘇我蘇我しくない皇族を排除 して、蘇我蘇我しいニッポンを作ろうとしていたのだ。

その一方で蘇我入鹿は、海の向こうの情報を集めまくり、唐に備えて 守りを固め つつ、 はじめての遣唐使 を送った。

そして、

「高句麗とか百済とか知らないから、オレたち攻めないでね」

と、蘇我ジャパンの必殺技、「 シラヌゾンゼヌー 」を東アジアにぶちかました。

「ちょ、待てよ!」

どこかで聞いたようなセリフを、誰かが吐いた。

「百済、マブダチだろ?
 お前らマブダチ見捨てんのかよ。
 その考え!
 ちょ、待てよ!
 なぁ。ちょ、待てよ!」

それは、蘇我蘇我しくない皇族代表、 あの中大兄皇子 の声だった。
あの中大兄皇子が遂に立ち上がったのだ。

そして 中臣鎌足 と一緒に起こしたクーデターが大成功。

一瞬にして、中大兄ジャパンが始動し、 唐とのバトルモード へ突入した。

阿倍比羅夫、始動

「え?オレ?」

富山とか石川辺りでお仕事をしていた 阿倍比羅夫 は、目に涙を浮かべながら言った。

「だって、よく考えてみろ。」

飛鳥京のエラい人は言った。

「唐と戦うだろ?
 負けるだろ?
 攻めこまれるだろ?
 奈良、奪われるだろ?
 オレたち逃げるだろ?
 北行くしかないだろ?
 北、まだ居場所ないだろ?
 作るしかないだろ?
 ・
 ・
 ・
 な?」

阿倍比羅夫は、180隻の船団を引き連れ、みちのくへ旅立った。

一方、中大兄ジャパンは、新潟市辺りに国境を設けた。
そして、国境の向こうにいる 蝦夷 の村々のボス達に冠位をホイホイとあげていた。

中大兄ジャパンの仲間に引き入れようとしていたのだ。

じゃあ、阿倍比羅夫は何しにいったの?

阿倍比羅夫の役目は、もっと北にあった。

みちのくの奥

当時、みちのくは蝦夷の世界。

蝦夷は、国を作らず、獲物がイッパイいる辺りに村作って、一つにまとまらずに、村単位で暮らしていた。
そんな蝦夷エリアは札幌のちょい南辺りまで続いていた。

そして、北海道の網走辺りには、また別の人々が住んでいた。

それは、 オホーツク人
おそらく、日本書紀で「 粛慎(みしはせ) 」と書かれている人達。

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この人達は、北朝鮮のさらに北、満洲辺りに住んでいた 靺鞨(まつかつ)人  の一部だったと考えられている。

靺鞨の人達は、隋の頃からの朝貢国。
一部は高句麗側についていた。
でも、大部分は唐側についていた。

ということは、同族の粛慎も唐側のはず。 

阿倍比羅夫は、この人達をやっつけるか仲良くして、はさみ撃ちの脅威を無くす役目で行ったのだった。

みちのく集団旅

1回目

阿倍比羅夫は180隻の船を引き連れ、出発した。
プカプカ浮きながら進んでいると、男鹿半島に引っかかった。

そしてそこの蝦夷とお話し合いをし、アキタ蝦夷の首長 オカ を、アキタ(秋田)、ヌシロ(能代)、ツガル(津軽)のボスに任命した。

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次に北海道の蝦夷のボスを呼び寄せて、お得意の接待攻勢をカマした。

この接待攻勢は、あまりうまく行かなかったのかもしれない。
それとも粛慎情報を得るだけの目的だったのかもしれない。
阿倍比羅夫達は単独で粛慎に攻め込んだ。

結果は勝ちで終わり、ヒグマ2頭とヒグマの皮70枚をゲット。
ヒグマばっかりゲットした阿倍比羅夫達は、それも持ってお家に帰った。

2回目

翌年、2回目のみちのく集団旅に出た。
そして、アキタ、ヌシロ、ツガル、イフリサエ(室蘭・苫小牧辺り)の蝦夷を呼び、またもや接待攻勢をカマした。
それから、 シリヘシ (ニセコ辺り)に、粛慎攻撃の拠点を作った。
箱館本線のニセコ駅の隣には比羅夫駅がある。おそらくこの辺りでは。

3回目

さらに翌年、今度は200隻の船団で、3回目のみちのく集団旅に出た。 途中で、陸奥の蝦夷と合流。北海道の乗り込んだ。

そこでは、北海道の蝦夷1000人が集結していた。

「粛慎が大群で攻めてくる!助けて!」

おそらく、樺太にいたメインの人達が出てきたのではないかと個人的には思う。

「コレはヤバイ・・・作戦Bだ・・・」

作戦B。
それは、お得意の接待攻勢だった。

が、使者を送っても、こっちに来てくれない。

「くっそ・・・接待にさえ持ち込めば、オレの接待テクでメロメロにしてやるのに・・・」

阿倍比羅夫は、絹や武器などを敵陣近くに置き、敵意が無いことを示した。

粛慎側の船がその場所に着き、置いたものを持ち帰った。

「やった!作戦Bに持ち込める!」

阿倍比羅夫は大はしゃぎ。

「酒の準備だ!ほらっ!酒、酒、酒、酒!」

が、すぐに粛慎側の船が戻り、元の場所に戻した。

「っつぁけんなよ!
もうこうなったら、押しまくってやる!」

阿倍比羅夫は、作戦Bの押し売りに出た。

何隻かの船を粛慎側にやり、こっち来い来いアピールをしたのだ。

それでも粛慎側は全く応じず、 幣賄弁島 (へろべのしま。おそらく奥尻島)に退却していってしまった。

「なんなんだよ・・・・あいつら・・・」

阿倍比羅夫は、酒を片手に無力感に打ちのめされながら、粛慎を見送った。

しばらくして、粛慎から和解の使者が来た。
でももう遅かった。
もう酒を飲み切ってしまったのだ。

阿倍比羅夫は、蝦夷達と共に幣賄弁島に攻め込んだ。

阿倍比羅夫軍も蝦夷軍もボロボロになりながら、何とか粛慎を打ち破った。

「終わった・・・」

ひと通りの役目を終えた阿倍比羅夫は、お家へ帰宅した。

その後

阿倍比羅夫帰宅後、朝廷が粛慎人47人を接待攻勢した。
これにより、北のピンチが当分無くなり、みちのく集団旅は終わった。

「これで一息つける・・・」

が、丁度その頃、百済が唐・新羅連合軍に滅ぼされていた。

阿倍比羅夫は、結局一息もつけずに、唐との戦争のボスとしてかり出されることとなる。

落日の王子―蘇我入鹿 (上) (文春文庫 (182‐19))

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北辺の海の民・モヨロ貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

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