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李密翳 - 平城京に来た謎のペルシア人

続日本紀に書かれた記録

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続日本紀 。日本書紀の続編のような、 大和朝廷オフィシャル記録 だ。

オフィシャル記録なので、この場所で飢饉が起こったので、米を分け与えたとか、この階級のこの人にこの役職を与え、この階級につけたとかの、大和朝廷の政治的な記録が、日記調で延々と書かれている。
大和朝廷内なので、外交以外の国外事情は出てこない。

ただ、読んでいくと1箇所、突然ワールドワイドな部分が出てくる。
それは、天平8年(736年)、 聖武天皇 の時代の記録。
中国は、唐の 玄宗 が皇帝の時代。最盛期の頃だ。

記載は2箇所に出てくる。

1箇所目は、

8月23日 遣唐副使・従5位上の中臣朝臣名代らが唐人3人・ペルシア人1人を率いて、帰国の挨拶のため天皇に拝謁した。

2箇所目は、

11月3日 天皇は朝殿に臨御し、詔して遣唐副使・従5位上の中臣朝臣名代に従4位下を授けた。死没した判官・正6位上の田口朝臣養年富(やねふ)・紀朝臣馬主(うまぬし)にはそれぞれ従5位下を贈り、准判官・従7位下の大伴宿禰首名(おびとな)・唐人の皇甫東朝・ペルシア人の李密翳(りみつえい)らにはそれぞれ身分に応じて位階を授けた。

平城京 にペルシア人が訪れ、 李密翳 という名前で、少なくとも数ヵ月は生活していたのだ。

これまたなんで?

何で1人で日本に来たのか?

続日本紀には、これ以外の記録が無い。
また、自分が探す限りでは他の書物でも記録が残っていないので、何の目的で日本に来て、何をやったかは分からない。

一緒に来た唐人のうち、少なくとも1人は 楽士(ミュージシャン) らしい。
ここでボク仮説。

■仮説1: 
一緒に来た唐人3人と一緒にバンド組んでて、そのメンバーとして来た!

どちらにせよ、その後の記録が無いということは、政治目的ではなく、文化的か商業的な目的だったのだろう。

当時のペルシア人

ペルシア人とは、今でいうイラン人。

この頃のペルシア人は、自分たちの国家、 ササン朝ペルシア が、 イスラム帝国 によって滅ぼされ、 アラブ人 の支配下にいた。

今のイランはバリバリのイスラム国家(主流の スンニ派 ではなく シーア派 だけど)。
でも、李密翳が平城京に訪れた頃のペルシア人は、 ゾロアスター教マニ教 を信仰していた。
そして、イスラム帝国の支配下に入り、徐々にイスラムに転向しつつあるという頃だった。

この頃のイスラム帝国は、一番最初の王朝の ウマイヤ朝
ウマイヤ朝の奉じていたイスラム教は、「全ての人がアラーの下に平等」というスンニ派の考えではなく、アラブ人が支配者で上の立場となっていた。

そして、 聖戦(ジハード) を唱えて、あっちこっとへと領土拡張。
東方へも 西突厥東突厥 を駆逐しながら、領土を拡げていた。

ここで、またまたボク仮説。

■仮説2:
追いやられたゾロアスター教徒かマニ教徒が、もっと東で勢力を拡げようと、日本に来た!

でも全然その跡が無いんで、これは違うか。

なので、もっと考えた。

ペルシア人は、基本的にはイラン辺りの人々。
でも、商売の為にシルクロードを通り、中央アジアや唐に住んでいる人も多くいた。

当時の長安は、シルクロードでの交易のメイン都市。
ここにはペルシア人もいっぱいいたはず。
なので、遣唐使の人達が長安に行けば、そこで当然ペルシア人に出会うことになっただろう。

ここで、ボク仮説乱発!

■仮説3:
中臣名代が、長安で李密翳らと意気投合。ノリで日本に連れてきた!

もひとつ!

■仮説4:
中臣名代が、
「出世したい!出世するには何か日本には無いものを持ち帰らないといけない!」
と考え、
「これ、日本に無い!」
と思いついて、ペルシア人の李密翳をあの手この手で連れて帰った。

あとひとつ!

■仮説5:
長安は、ペルシア人の商売敵がイッパイ。
まだペルシア人のいない日本に先陣切っていっちまおう。
ブルー・オーシャン戦略だ!
と考えた、商人の李密翳が中臣名代に取り行って訪問した。

うつほ物語と李密翳

photo by guzhengman

うつほ物語 という、平安時代に書かれた文学作品がある。

この物語の超超概要。

前半の主人公として、清原俊蔭という架空の人物が登場する。
この清原俊蔭は、遣唐使として唐へ行く途中に難破して、ペルシアに漂着する。
そして、ここで仙人から最強の琴のスキルを学ぶ。
そのスキルを日本に持ち帰った清原俊蔭は、娘へそのスキルを伝承する。
そこから、そのスキルがキーになってあんなことこんなことになっていく。

という話。
琴という楽器、そしてペルシアが出てくるのだ。

最初に書いたように、李密翳は唐の楽士達と一緒に来た。

ここからは、またまたボク妄想が炸裂する。

李密翳も楽士で、イングヴェイ・マルムスティーンばりの演奏テクを持っていた。
そして、そのスーパーテク逸話が平安時代になっても残っていた。

この李密翳の逸話からインスピレーションを得て、作者はうつほ物語を書いたのではないか?

だとすると、やっぱり仮説1!

■仮説1: 
一緒に来た唐人3人と一緒にバンド組んでて、そのメンバーとして来た!

で、ん間違いない!

続日本紀(上) 全現代語訳 (講談社学術文庫)

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うつほ物語 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)

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