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千々石ミゲル - ローマ行った上でキリシタン辞めた侍

大浦天主堂

千々石(ちぢわ)ミゲル 。 日本史上、この人ほど異文化コミュニケーションで悲惨な目に遭った人はいないハズ。

この人の人生、要約だけで泣けてくる。

  1. 11歳で、洗礼を受け キリシタン に。
  2. 勉強の為にカトリックの総本山 ローマ に行く
  3. 途中で 日本人奴隷 がこき使われる様を見てキリスト教に疑問を持つ
  4. 疑問を持ちながらローマでお勉強
  5. 帰国したら バテレン追放令 発令直後で居場所が無くなる
  6. おまけに従兄弟で藩主の 大前喜前 にも迫害される
  7. 棄教 する
  8. キリスト教徒全体から裏切り者扱いされ、追い回される
  9. 棄教したのになぜか大前喜前に迫害され続ける
  10. 逃げた先の藩主 有馬晴信 にも背教者扱いされ、重症を負わされる
  11. 人知れずひっそりと死ぬ

どうみても、ローマに行った頃が千々石ミゲルの頂点。この頂点の頃、ミゲルは13歳。
後は転落していくだけなのだ。

ローマ出発まで

千々石ミゲルは、1569年に肥前国領主 千々石直員 の子として生まれた。
ということは、 大村純忠 の甥で 有馬晴信 の従兄弟に当たる。
大村純忠は、最初のキリシタン大名。有馬晴信もキリシタン大名。

長崎・平戸を中心に、この辺りはキリスト教が相当な勢いで広がっていた。
千々石ミゲルは、1580年にポルトガル人から洗礼を受けキリシタンになり、神学教育を受けた。

そしてこの頃、 イエズス会アレッサンドロ・ヴァリニャーノ が、日本のガキンチョをローマに送ろう!計画を発案した。
ヴァリニャーノは、毎度お馴染み フランシスコ・ザビエル の次くらいに日本へのキリスト教布教に貢献した人物。

この計画の意図は2点。

1. 口コミ

こいつらにローマを経験させて、戻った後に口コミでローマとキリスト教の素晴らしさを広めさせ、布教をブーストさせよう!

2. 偉い人の歓心を買う

珍奇な日本人をローマ法皇やヨーロッパ各国の王に見せて興味を持ってもらい、もっと日本布教にウェイトを置いてもらおう!

そんな感じで、ヴァリニャーノは、九州のキリシタン大名に掛け合い、結果、 天正遣欧少年使節 という使節団を作ることとなった。

この使節団。中心となったのは、次の4人。

  1. 伊東マンショ (日向国大名 伊東義祐 の孫)
  2. 千々石ミゲル
  3. 中浦ジュリアン (肥前国中浦領主の子)
  4. 原マルティノ (大村家家臣の子)

このキリシタンエリートカルテット。4人共10代前半だった。

使節は1582年、長崎からローマへ向かって出発した。

旅で受けた衝撃

聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂

1590年の帰国まで、8年以上の旅となった。

マカオ、マラッカを越え、半年程度をかけてポルトガルに到着する間、身体の弱いミゲルは疱瘡にかかってしまった。

ポルトガルに着いた後は、スペイン、イタリアの諸都市をまわり、その中でミゲルら4人は勉強をした。

目的のところで書いたように、この4人には、口コミ要員となってもらわなければならない。
なので、付き人のポルトガル人は、キリスト教のイイトコだけを見せるようにという指令を受けていた。

それでもミゲルは、旅の途中で 日本人奴隷 がアチコチで酷使される実体や、キリスト教の 宗派同士の対立 などを見た。
そんな本場のキリスト教や欧州人の実態に、ミゲルの失望した。

病気のためか、失望のためか、ミゲルは勉学に実が入らなくなり、だんだんと落ちぶれていく。

でも、ヴァリニャーノとミゲルら4人の対談録『 天正遣欧少年使節見聞対話録 』では、ミゲルはキリスト教とヨーロッパの先進性を絶賛しまくっている。
この本自体、キリスト教プロパガンダ目的で作られたもののようなので、脚色しまくっているかもしれない。

帰ったらキリスト教NGになってた

田平教会

1590年、ミゲルら4人は帰国した。
旅の間に織田信長は死に、 豊臣秀吉 の時代になっていた。
豊臣秀吉は、最初のうちはキリスト教を容認していた。
が、キリスト教の脅威をひしひしと感じた豊臣秀吉は、1587年にバテレン追放令を発令し、宣教師追放とキリスト教布教禁止を行った。

その後も サン・フェリペ号事件 などで、キリスト教への風当たりが厳しくなっていった。

ミゲルら4人は帰国した後、豊臣秀吉に謁見した。
その場で、秀吉の家臣になることを誘われたが、4人とも断った。

帰国後のミゲルら4人は、イエズス会に入会し、天草で修練を続け、司祭を目指した。
が、ミゲルだけは次第にやる気を無くし、脱落していった。

棄教

1601年、ミゲルはキリスト教を捨て、反キリスト教へと転向した。

この経緯は分かっていない。
まわりの盲信に流され、キリスト教を続けてきたものの、ローマで見たキリスト教の実態を忘れられず、爆発してしまったのではないかと思われる。

実際その後のミゲルは、反キリスト教の急先鋒となり、改宗しようか迷っていた藩主の大村喜前に、
「キリスト教の日本布教は、日本を侵略する目的のものデス!」
と力説したり、領民に対し、ヨーロッパで見た真実を周りにしゃべくり散らかしたりした。

当然今までの仲間から裏切り者扱いされた。

それでも藩主が棄教すれば立場は安泰なはずだった。
が、なぜか大村喜前にも遠ざけられ、キリスト教側からも反キリスト教側からも排除されることになった。

さらには、従兄弟の有馬晴信の手の者からも暗殺されそうになる。

その後の記録は残っておらず、長崎の伊木力にお墓と思われる石碑が残っているのみとなっている。

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