空海というすごい人2

このブログの最初の頃に書いた空海の記事が途中で忘れ去った状態となっていたので、その続きを。

blog.umibashira.com

前回は、遣唐使として唐で勉強するところまでだった。
今回は、帰国して、今までやってきたことが日本で花開いていく後半の人生。

花開かせるために、空海が駆使したもの。それは、
今でしょ力
腹黒力
だ。

だいたい死んで1000年以上経ってまで、「弘法大師」として子孫に崇めさせるという、 日本史上最高の勝ち組 だ。腹黒くないワケがない。

ファンタジスタ的帰国

密教本流の阿闍梨(あじゃり)という頂点の立場だった恵果から灌頂(かんじょう)を受け、密教界の頂点に立った空海。
もう唐には用がない。

でも、学僧の立場で唐に来た空海は、あと20年間唐で学び続けなければならない。

あと20年も勉強したら、ジジイになっちゃう!  

その空海に、帰りの遣唐使船が出るという情報が届く。

今でしょ!今でしょ!
空海の頭に載った、今でしょパボライトが点灯した。
でも、今帰ってしまっては、朝廷の命令に逆らった犯罪者として帰ることになってしまう。

空海は考えた。
しばらくして左口角がゆっくりと上がった。お馴染みの腹黒スマイルが生まれた。
ここで空海は 腹黒力 を駆使する。

阿闍梨となり、唐に在っても権力者の空海。
どこからかき集めたか分からない金で人を何十人(何百人?)と雇い、ここにあるレアで最先端の仏典を片っ端から書き写させた。
そして、その仏典と恵果から受け継いだ法具を持って遣唐使船に乗り込んだのだ。

こいつを武器に、犯罪者どころか一気に駆け上がってやる。
空海は腹黒スマイルが止まらず、顔の筋肉吊りまくり状態で遣唐使船に乗り込んだはずだ。

遣唐使船は、 この船を最後に30年以上往来することが無くなる 。 これに乗らなければ、空海は唐で一生を終えていたのだ。

今でしょ力と腹黒力のコラボレーションにより、生きて日本に帰れたのだ。

引き篭もる空海

photo by ken–

博多に到着した空海は、太宰府に留まった。そしてそこで、『 御請来目録 』という書物を作成した。

この『御請来目録』は、空海の 腹黒力の玉手箱 だった。

まず、謝っている。

「20年勉強する約束で帰って来ちゃいました。ゴメンナサイ!  
でもボクは、日本に今まで無い最高の知識を得てしまったのです!  
日本のために持って帰らないわけには行かなかったのです!  
これはボクに与えられた使命なのです!  
ボクは犯罪者でも構いません!  
この最先端で最高の知識、仏典、その他宝物。  
とにかくスゴイのです!  
日本のために、これを持ち帰らないわけにはいかなかったのです!」  

的なジャパネットたかた顔負けの内容を、持ち前の文才で、読んでイラッとこないような表現に包み込んで表現した。

そしてその後に、京都にいる貴族や仏僧や喉から手が出るほど欲しすぎる仏典・宝物一覧を、

「あれも、これも、はたまたこんなものも、ボクはイッパイ持ってるんですよぅ」 

という感じでズラッと記載したのだ。

そして、これを京都の天皇宛に送り、引き篭った。
この大リーグオールスター級の一覧が、京都中に広まるのを待ったのだ。

ただ帰ったのでは犯罪者。
こいつで焦らすだけ焦らし、サッカーの本田とかレディ・ガガのような感じで、大歓迎で京都を凱旋してやる。
『御請来目録』を送った空海は、腹黒スマイルで博多の地に引きこもり、今でしょパボライトが点灯するのを待った。

イケイケの最澄

この頃、京都の仏教界は最澄がイケイケの状態だった。
最澄は、今まで仏教界を牛耳っていた奈良仏教を批判しまくり、新しい仏教を始めていたことで、政治にあちこち口を出してくる奈良仏教にイラッと来ていた桓武天皇に気に入られた。
最澄は桓武天皇のバックアップで仏教界を成り上がっていったのだ。

この最澄、空海と同じ回の遣唐使として唐へ行った。
でも、最澄と空海では全然違う立場だった。
こんな感じ。

派遣前 立場 役割
空海 熊野や四国の地を転々とするアンダーグラウンド僧侶 学僧 20年勉強しろ
最澄 桓武天皇お墨付きのエリート エリート僧侶 ちょっと最新仏教事情を視察してくる

最澄は、本場の天台宗の知識を得ることが主な目的だった。そしてそのついでに、地方の密教を摘んで、空海より先に帰ってきた。

最澄は、空海より先に密教に知識を広めていた。

空海、京都に凱旋

イケイケの最澄にイラッときていた奈良仏教界。
この『御請来目録』を見た。
おやおや。これは使えますゾ。奈良仏教界は全僧侶総出で腹黒スマイルをカマした。

空海が帰国した頃、嵯峨天皇の時代となっていた。
嵯峨天皇は中国の知識が大好き。さらに空海と同じく書道が得意。
奈良仏教界は、嵯峨天皇に口添えをして、こっちの寺に来なさい。(そして、最澄をヤっちゃってください)的な伝令を送った。

今でしょ!今でしょ!
その伝令を受けた空海の今でしょパボライトが点灯した。

空海の左側の口角がさらに上がった。

最澄、弟子入り

京都に持ち帰った知識、仏典、宝物は、仏教界や貴族達の間に衝撃を与えた。

この事態に、最澄は焦りまくった・・・と思いきやそうではなかった。
超大真面目で、超人格者な最澄は、自分の立場とか関係なく、他の仏僧と同じように大歓迎だった。
さらには、自分の密教の知識が不十分だということを知り、弟子を連れて空海の元に教えを請いに行った。

仏教界のスーパースター、最澄が自分のところに教えを請いに来た。
空海は腹黒スマイルはMAXを突き破り、表情筋がブチ切れた。
そして言った。

「おやおや、最澄さん。もちろん構いませんよ。弟子入りするならねぇ 。」

超真面目な最澄は、自分の弟子と共に空海に弟子入りした。そして、密教を勉強した。

スターは忙しい。最澄は勉強できる期間が限られている。
数ヶ月勉強した最澄は、空海に灌頂を求めた。

ここでまた空海の表情筋がブチ切れた。

「いやいや、ちゃんとした灌頂は3年かかりますから。」

え?空海2年で唐から帰ったのに、3年かかるの??
最澄はそう頭をよぎったかもしれない。でも人格者の最澄。そんなことは言わない。

「そんなこと言わないでぇ、空海さん、お願いしますよぅ」

そんな感じで空海にお願いした。

「しょうがねぇなぁ。じゃあ、こっちのお手軽コースではどう?」

空海は、他の無名の修行僧 145人と一緒にまとめて灌頂 を行った。

それでも、最澄は空海に感謝して帰っていった。

遂に最澄キレる

空海が作り上げた真言宗の体系は、 金剛界と胎蔵界 という2大構成となっていた。
最澄が勉強して受けた灌頂は、金剛界側のものだった。
最澄は、胎蔵界側も勉強したいと思い、胎蔵界の奥義が書かれている『 理趣経 』を貸してくれと空海に求めた。

空海は断固拒否。この理趣経、普通に読むとセックス礼賛のお経と受け取れる内容で、書だけでは本質を伝えられないというのもある。 が、本当の奥義的な部分でもあるので、それを最澄に極められたくない的な思いもあったに違いない。

最澄は半ギレした。

そんな時、事件が起きた。最澄の愛弟子の 泰範 が空海の元にに奔ってしまったのだ。

その後も最澄は、泰範に戻ってこい手紙を送り続けた。
空海の教えもいいが、こっちも劣ってないのだゾという内容だ。

それを読んだ空海。腹黒スマイル状態で、泰範のフリをして最澄に手紙を送る。 天台宗より真言宗の方が明らかにイイ! という内容のものだ。

最澄は遂にブチ切れ、空海と絶縁した。

それ以降、比叡山は閉鎖的になっていった。

高野山にオレのヘヴンを

その後、故郷の満濃池が決壊しないように大々的に土木工事をしたり、空海は京都の東寺を任されたりと、結果を出し、さらに大物になっていった。

もうそろそろいいだろう。空海は腹黒スマイルを浮かべた。 オレ、王様になる。仏教都市を作って、王様になる。

空海はそれに最適な場所を知っていた。
それは、 高野山
遣唐使前の乞食僧のような頃、紀伊半島を隅から隅まで歩いていて、高野山の地を知っていた。
高野山は山の上にありながら、広い平野が広がっていてる。住みやすく、かつ外界と隔離されていて、京都にも近い。仏教都市を作るのに最適な場所なのだ。

空海は、嵯峨天皇の了解を得て、多数の弟子を引き連れて高野山を開拓し、仏教都市を作り上げた。

そして、そこで20年教えを伝え続け、死去する。

高野聖

その後、ここから地方伝道のために下級僧が全国に派遣された。
この人たちは 高野聖 と呼ばれている。 高野聖は、高野山で火事があって、その復興資金集め要員を全国に派遣したことからはじまった。 高野聖は、金を集めないといけないので、頂点の空海(弘法大師)の伝説をあちこちに作り、そんな空海が作った高野山に金を出せば、ご利益がありますよ的な感じで金を集めていった。

みるみるうちに空海は全国を行脚して、奇跡を起こしまくったことになり、その伝説は相乗効果でどんどんと高まっていくことになる。

死んでも成り上がっていく空海。こんな人物、キリストとムハンマドとブッダと空海くらいではないだろうか。

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

理趣経 (中公文庫BIBLIO)

理趣経 (中公文庫BIBLIO)

© 2009-2017 Osajiru All Rights Reserved.