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もう一つの元寇

日本人ならみんな大好き、元寇。 今回は、こいつを基準にちょいと遡り、ちょいと範囲を広げたところから開始する。

チンギスハーン登場

チンギスハーンが歴史の舞台に出てきた辺りから話を進める。 中国王朝でいうと、南宋の頃。朝鮮半島は、全体が高麗。 そして、満州や北京を含む中国北東部は、金という靺鞨/女真族による国家だった。

日本は鎌倉時代。東北の北端まで日本となっており、北海道は、オホーツク海沿岸にいた靺鞨系と言われるオホーツク人を樺太に追いやったり同化したりして、全体がアイヌ人の地だった。 南端に少し和人がいたくらい。 樺太は、オホーツク人とイコールだと思われるニヴフ人と、少数のウィルタ人がいる状態だった。

ニヴフ人は、同族である金のバックアップでそれなりの勢力を保っていた。

そこに出てきたのが、モンゴル族のチンギスハーンだった。

金滅ぶ

チンギスハーンは、金に攻め込んだ。金は弱体化していき、それを見計らって、南宋や、西にあった西夏が侵入した。 金は滅び、この辺りは、チンギスハーンが建てた、モンゴル帝国のものとなった。

樺太への影響

この変化は、樺太にも影響を与えた。 金のバックアップがあったニヴフ人の勢力は弱まり、 北海道のアイヌ人が侵入してきた。 元史での1265年の記載に、「クイ国人がギレミの兵を襲い、殺す」という部分がある。クイとはアイヌで、ギレミとはニヴフのことだ。

アイヌ人はこの頃、千島列島にもテリトリーを拡げ、最終的にはカムチャッカ半島の南端まで達し、カムチャッカに住む、アリュート、コリヤークといった民族と交易をした。

元の拡大政策

世代が代わり、クビライの時代。国号は元に改められた。 クビライは四方八方に勢力を拡げた。 東方も例外では無かった。 樺太でアイヌ人が勢力を拡げているという情報を得たモンゴルは、アイヌ人を討ち、樺太を領内に組込もうとした。

1285年、モンゴルのタタルタイ・ヨーウロタイが1万の兵で樺太の地に侵入した。 北の元寇だ。

北の元寇

それからしばらく記録が無い。おそらく戦争が続いたと思われる。 次に記録に現れるのが、1297年。 アイヌのウァインが、大陸側に侵攻してきた。ニヴフは元に助けを求めた。

当時、樺太には1万人も人が住んでいなかった。10年もの間、島内でモンゴル兵を養うことはできなかったはずで、おそらく相当の間、元側の主力はニヴフ兵だったと思われる。 そして、アイヌに敗れたニヴフは、元に助けを求めたということなのではないだろうか。

元の記録では、攻め込んできたアイヌの軍勢をアムール川下流にあるヒチホトンで破ったとある。

その後の元の記録ではさらに間が開き、1308年、アイヌのイウシエンヌがモンゴルに降伏するという形で停戦したとある。

降伏とあるが、樺太はアイヌ領となったので、実質引き分けのような形ではないだろうか。

もしアイヌが負けていたなら

元の公文書集といえる『経世大典』には、アイヌを負かすことを目的としているとが記されている。 当時のアイヌの本拠地は北海道だった。 この北の元寇でアイヌが破れていたら、元の勢力は北海道まで来ていた可能性がかなりある。

そうなると日本は2正面から元と立ち向かわなければならなくなり、日本の独立も危うい状態となっていたかもしれない。

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