読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

もっと最高の縄文に

photo by HankSun88

来週、北海道旅行をする。広大な大地をマニアックな目線で石一つ逃さず眺めたいので、ここ数日、北海道の歴史や文化についての本を読み漁っている。
でも、色々と読み漁っていくうちに、ボクの興味はこのひねくれた心と共に、どんどんとネジ曲がっていっている。
その結果、今の段階で得た知識をまとめると、「もっと最高の縄文に生まれ変われる気がするよイズム」があったということだ。

縄文ヘヴンの日本列島

日本は、山が多く、水が多い。なので、植物の勢いが半端ない。雑草とかビョンビョン生える。
植物が多いので、それを美味しくいただく動物たちもイッパイ参上する。
更にそれを美味しくいただく動物たちがイッパイ参上する。
そして更にそれらまるごと美味しくいただく人間たちがイッパイ参上する。

日本列島は、狩猟採集民にとってはヘヴン過ぎる場所だった。

人間がイッパイ集まると文化が生まれ、発展する。日本に縄文ヘヴンが生まれた。
紀元前数千年とかの頃は、日本列島が世界最先端地域だったという説もある。
だいたい合っているような気がしないでもない。

お米参上

photo by Ken.Matsushima

その日本列島に稲作が伝わってきた。
稲作は西からどんどん広がってきた。弥生時代だ。
稲作をすると集団で定住する。
そうするとそこにボスが出てくる。
そしてクニへと発展する。
新しい文化がどんどん生まれる。

みんなお米作ればいいじゃん。
そう思えるかもしれない。初期大和朝廷の存在理由のひとつは正にそれだった。
狩猟採集をし続ける人たちに、オレたちと一緒にお米作ればいいじゃんと強制的に勧誘する集団だったのだ。

出雲の国譲りも、ヤマトタケルの東征も、農耕をしてクニを持つようになった人同士が、農耕をしない人達を、ボクたちお米教に引き入れるという共通目標を設定することによって大和朝廷に取り込んでいったということだったとボク的には考えている。

でも、日本は狩猟採集に向きすぎていた。お米作るより、狩りしてた方が豊かな生活ができた

縄文人にしてみると、

「頑張ってお米作っちゃってるけど、あんたの足元、オレらの大好物のドングリがイッパイ転がってますから。」

ということだったに違いない。

もっと最高の縄文に

こんな感じで大和朝廷の支配下に入らなかった人たちを、大和朝廷は「蝦夷」と呼んだ。

東北から北は狩猟採集の生産性が高く、なかなかお米の魅力を分かってもらえなかった。
そのため大和朝廷は、力づくでお米の良さを理解させるために軍隊を送りこんだ。

源頼朝の時代になると、本州の北端まで日本のものとなった。

しかし、北海道は縄文時代が続いた。
そして独自に、新縄文時代擦文時代と、もっと最高の縄文、もっともっと最高の縄文へと進化していった。 擦文時代になると、ついに鉄器を使うようになる。

アイヌ文化に到達

photo by nealunger

擦文時代は13世紀まで続いた。
そして、ついに土器を捨てて鉄鍋を使うようになった。縄文を突き抜けたのだ。
他にも色んな方向に文化が花開いた。
アイヌ文化だ。

アイヌ文化は、発展しながらその後延々と続いていくことになる。

おやおやオホーツク人

北海道には、これとは別の文化を持つ人達も住んでいた。
この人達はオホーツク人と言われている。樺太から北海道の北部沿岸に住んでいたらしい。
日本書紀に出てくる「粛慎」と呼ばれる人達は、このオホーツク人を指していると思われ、古くから存在が知られ、日本との交易も行っていたようだ。

オホーツク人がどこから来たのかは、正確に分かっていない。アムール川辺りに住んでいた靺鞨族とも、昔からこの地に住んでいて、後にニヴフ人と呼ばれるようになったこの地に昔からいる人達とも言われている。

どちらもツングース系の民族で、清を作って漢民族からラーメンマンまで辮髪にしつくした、満州人と同系統だ。

この人達の住んでいた遺跡から、山ぶどうで作ったワインが出てきたらしい。
京都辺りで源平の戦いをやっていた頃に、この地域ではワインをたしなんでいたということだ。

アイヌとオホーツク人の関係

アイヌ人とオホーツク人は、基本的には住み分けていた。アイヌは漁もしたが狩猟採集を中心とした生活をする山の民で、オホーツク人は漁を中心とした生活をする海の民だ。

ただ、北海道にはアイヌ人が作ったとされる砦が無数にあり、アイヌ同士だけではなく、オホーツク人とも争った形跡があるらしい。

また、アイヌ人は鉄器を使ったが、オホーツク人は石器を使い続けたらしい。
最高の縄文とはほど遠かったということだ。

中国にモンゴル帝国が出来、日本が元寇に襲われる10年ほど前、モンゴルはアムール川を渡って樺太に侵攻した。

photo by Dunechaser

樺太に住んでいたオホーツク人と思われるニヴフ人はモンゴルに降伏した。
その時、ニヴフ人は度々侵攻してくるアイヌ人を撃退して欲しいとモンゴルに訴えた

その訴えによってかどうかは分からないが、モンゴルとアイヌが戦争になり、結果アイヌがアムール川辺りまで押し返した記録が残っている。

最高の縄文に生まれ変わった結果、モンゴルの日本列島侵入を食い止めたのだ。

参考

街道をゆく 38 オホーツク街道 (朝日文庫)

街道をゆく 38 オホーツク街道 (朝日文庫)

菅江真澄が見たアイヌ文化 (神奈川大学評論ブックレット)

菅江真澄が見たアイヌ文化 (神奈川大学評論ブックレット)

© 2009-2017 Osajiru All Rights Reserved.