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飛鳥時代・奈良時代〜東アジアが一番アツかった時代〜

僕流要約

飛鳥時代から奈良時代
この時代の日本をボク流に言うと、
古墳のデカさばかりで張り合ってたヤンキー気質なボス達が、唐というそれどころじゃないヤバイ国に絡まれ、団結して張り合おうと努力した時代」
だ。

飛鳥時代

奈良時代の前の飛鳥時代
大和朝廷は、群馬•栃木辺りを占めていた東の番長、上毛野氏をうまいこと仲間に誘い込み、縄張りをこの辺りまで広げていた。
そして、西の方は、百済新羅高句麗などとガンを飛ばしあいながら、朝鮮半島南部辺りまでを縄張りにしていた。

百済新羅とやり合うために、次第に大和朝廷と手を結ぶ形になり、大和朝廷にとっては新羅がメインの敵となっていた。
一方高句麗は、後ろの隋がケンカを売ってくるので、朝鮮半島どころではなくなった。西隣りの突厥と組んで、隋とガチゲンカをし続ける羽目になった。

唐誕生

隋は基本的に縄張りを広げていこうとするこれまたヤンキー気質の国だ。
この国は久しぶりに中国を統一したマジ強の国だったが、史上最高の運河フェチ、2代目の煬帝が、調子に乗りすぎ、力の限り運河作りの土木工事をしまくった。

「金がねぇwww」
子分達が焦り出した。

しかしノリノリの煬帝は、調子に乗って高句麗遠征に繰り出した。
結果、3戦3敗の大失態。

「この野郎www」
もう子分たち大激怒。
国中を暴れ周り、煬帝死亡。煬帝の孫が、泣く泣く子分だった一人である李淵(高祖)に皇帝の位を譲った。
高祖は唐を建国した。

新しい国ではあるものの、唐は隋の腹を破って出てきた国だ。
なので、なんだかんだ言っても、基本的に隋と変わらないヤンキー気質国家だった。
さらには、2代目の李世民(太宗)は中国の歴代皇帝で最高と言われるレベルの能力と凶暴さを持っていた。

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太宗は、混乱した中国国内のハートをガッチリキャッチし、その勢いで突厥を滅ぼした。

「ちょwww」
高句麗は焦りまくった。

高句麗ピンチ

「もう組む相手、百済しかいないwww」
高句麗百済と手を結んだ。

「ハブられたwww」
新羅は唐に泣きを入れ、手を結ぶ形になった。

突厥を潰した唐は、高句麗にケンカを売ってくるようになった。

「これはやばいwww」
高句麗のインテリヤンキーたちはそう思い、クーデターを起こして唐とガチンコでやりあえる体制を作りはじめた。

大和朝廷ノリノリでケンカに参加

「おっ、やってますな。」
大和朝廷は、早速どっち側でケンカをおっぱじめるかを考えた。
唐マジヤバイ。でも百済負けたら、朝鮮半島南部の縄張りが新羅のものになる。
唐やっつければ、オレがイチバンになれるかも。
これは、高句麗百済側か?

そう思っていると、百済が王子を人質に送ってきた。

「おやおや、仕方ありませんなぁ。」
大和朝廷は、ニンマリとしたご様子で、高句麗百済同盟に参加した。

その頃、高句麗では唐とやり合うためのクーデターが起こっていた。

「フォォォォオオ!」
中大兄皇子中臣鎌足は触発され、クーデターを起こした。

「よーし、大化の改新しちゃうゾ。」
中大兄皇子は、唐と対抗するために律令体制を整え、中央集権化を進めた。

百済ピンチ

高句麗固ぇwww」
何度攻めこんでも、唐は高句麗に侵入できなかった。

「これだめwww先に百済潰しちゃおうwww新羅後ろからたのんだwww」
唐は百済に攻めこんだ。

「え?聞いてないんだけど?」
百済は滅びた。

「うそーん。」
大和朝廷は、クリビツのご様子。

「ボクまだケンカしてないですからぁ!!」
大和朝廷は、人質の百済王子を送り込み、百済を再興させた。
ゲームオーバーからのリプレイモード。

しかし、その百済もあっという間に滅びそうになる。

「よっしゃぁ!やったるでぇ!」
大和朝廷は、全力で朝鮮半島に向かった。

大和朝廷ヤバイ

白村江に着いたが、先に唐の大軍が到着していた。
でも、こっちの方が多い。

「ボッコボコにしてやるwww」
大和朝廷の軍は特攻しまくった。

しかし、唐に火を放たれまくり、ボッコボコになって、日本列島に逃げ帰った。

「これはヤバイwww」
大和朝廷は、急遽琵琶湖辺りに遷都した。
いざとなったら、琵琶湖から日本海出て、北へ北へと逃亡する作戦。

そして、九州のまもりを固め、ビクビクしながら待ち構えた。

新羅、オレの縄張りは?

一方、唐と新羅は占領した領地をめぐってガンを飛ばしあっていた。

朝鮮半島はオレのものなんですけど(笑)」
唐は新羅に迫った。

「いや、オレのものなんですけど(固)」
新羅は対抗しながら、大和朝廷に助けて目配せを送った。
結局、新羅を盾にして大和朝廷はヌクヌクと過ごすことが出来た。

渤海誕生

モンゴルから満州辺りは、しばらく唐の縄張りとなっていた。

しかし、高句麗の残党と靺鞨人から担ぎ上げられた、大祚栄満州辺りで大暴れ。この辺り一帯を乗っ取った。

唐はお怒りのご様子。すぐさま討伐軍を送りまくった。
しかし渤海は、討伐軍をボッコボコにし、さらにあっちこっちに縄張りを広げまくった。

お前、国じゃないから。
唐は渤海を認めなかった。

渤海は、もはや反唐の親玉であった日本と交流を開始。
日本、毛皮もらいまくり。渤海、絹とか金銀もらいまくりで双方ウハウハの蜜月状態が続いた。

唐、丸くなる

あちこちにケンカを売りまくってきた唐だったが、年を重ねる度に丸くなり、機嫌のいいオッサンになっていった。
渤海新羅もそして日本も、そんな唐と付き合い出した。

そんな流れの中、日本の反唐の親玉的ポジションが薄れていった。

新羅渤海も、日本の子分的ポジションで仲良くしていたはずが、だんだんと怠慢な態度で日本にくるようになった。

新羅の使者は、あまりにも態度が悪いので、来る度に天皇激オコ。

渤海も、
「子分がきましたぜ。いつものご褒美、くれませんかね?」
的な感じで、用もないのに頻繁に日本に来てたかるようになった。

そんな中、平安時代へ突入していくことになる。



参考

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