男鹿半島の歴史

この連休を使い、今まで行ったことが無かった秋田へ行ってきた。
特に男鹿半島は、かなり前から行きたいと思っており、今回のメインの場所だった。
その辺りを書いてみる。


ちなみに「男鹿」の由来は、阿倍比羅夫に降伏したこの辺りの蝦夷の長、「恩荷(おんが)」から来ているらしい。

男鹿半島は、いくつかの急な山により成り立っており、日本海を航海する船から見ると島に見える。

山は、主に真山•本山•毛無山の3つある。
日本海は縄文時代の頃より、交易に使用されており、この山はいつからか神聖な神が宿る山と信じられるようになった。
やがて和人が移り住み、これらの島に日本の神が祀られることとなった。

真山の真山神社、本山の赤神神社がそれだ。

なまはげの地、真山神社


真山神社がある辺りは、なまはげゆかりの地だ。この神社のすぐ近くになまはげ館という施設もある。


以下、神社入口のにある説明の引用。

主祭神

天津彦火瓊々杵命(あまつひこほににぎのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)

由緒

 社伝によれば景行天皇の御代、武内宿禰がおくりく地方諸国視察のため男鹿半島へ下向の折、涌出山(わきいでやま、現在の真山・本山)に登り使命達成と国土安泰・武運長久を祈願して
瓊々杵命(ににぎのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
を祀ったのが資源とされる。

 平安時代以降仏教の伝播が男鹿へも至り、貞観年中には慈覚大師によって涌出山を二分し、北を真山、南は本山としたと伝えられる。以来修験の信仰が昂(あが)り、天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合された。

 南北朝時代には真山別当光飯寺は真言宗に転じ、支配も東北豪族の安部氏・清原氏藤原氏と移りながらも、その庇護のもとに修験霊場として一山繁栄を誇った。

 江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹候の祈願所として数々の寄進崇敬とともに、幾多の堂塔伽羅が営まれてきた。

 明治維新後は神仏分離令によって元の神域に復し、名も赤神神社から真山神社と改められた。明治十四年には県社に列格され、ますます深厳な境内を維持してきた。

 平成三年九月、台風による烈風で多くの老杉が倒れて甚大な被害を受けるも、七年間の復興事業で境内整備が完工した。

 ご本殿は今なお真山山頂に鎮座し、国家安泰・五穀豊穣・海上安全・勝運の守護神として崇敬されている。

柴灯祭(せどまつり)

 本社の特異神事であるこの祭りは、正月三日夕刻境内内に柴灯を焚き、この火によってあぶられた大餅を、お山に鎮座する神に献じその年のなまはげはこの神の使者「神鬼」の化身といわれ、長治年中により行われてきた。

 また毎年二月の第二金・土・日には「なまはげ柴灯祭り」として当神社を会場に開催される。この時神鬼に献じられる餅は胡麻餅(ごまのもち)と称され、災難除去の御護符として氏子参拝者に頒賜される。玄関の宵に斎行される神秘な神事で、冬の東北雪まつりの一つとして広く知られている。

徐福の到着地?赤神神社五社堂


赤神神社は、昔の様子が書かれた図を見ると、相当栄えた場所のようだ。


で、この図の階段部分。相当長い。
駐車場はこの図の真ん中くらいにあり、そこからは徒歩。神社によると、全部で999段あるそうだ。

鳥居をくぐると、徐福塚がある。


以下、神社入口にある説明の引用。

 赤神神社の創立はきわめて古く、赤神は漢の武帝の飛来したところと伝えられ、貞観二年(八六〇)、慈覚大師がここに日積寺永禅院を建て、赤神をその山神としていたという。

 建保四年(一二一六)に源実朝は堂社をことごとく比叡山に模して造営したとされている。

 その後、応安五年(一三七二)に安倍高季によって修復され、元和三年(一六一七)拝殿造営、寛永一五年(一六三八)、寛文二年(一六六二)再興、延宝三、四年(一六七五〜七六)には堂全体の造営があった。

 現在の社殿は、秋田藩主第四代佐竹義格(よしただ)の命により大久保小左衛門が普請(ふしん)奉行となり、宝永四年(一七〇七)から七年(一七一〇)にかけて建て替えられ、江戸中期様式を示す建築である。

 五社は、向かって右側から三の宮堂、客人権現堂(まろうどごんげんどう)、赤神権現堂、八王子堂、十禅師堂で、五棟とも格桁行二間、梁間三間一重、正面入母屋造(しょうめんいりもやづくり)、背面切妻造、妻入、向拝一間、唐破風造、鉄板葺の建造物である。

 中堂は、厨子をおさめるため他より大きい。また、同型式の社殿五棟が山中に横一列に並んで現存しているのは極めてまれである。

 この地は、平安時代末から天台宗山岳仏教修験道場として発展し、後に真言宗に改宗。藩主から多くの神殿を寄進され、衆徒の存在も知られ、おおいに栄えていたが、明治になり神仏分離令により赤神神社として残る。

この辺りの風景を観たいと思い行ってみたが、なかなか歴史的にも興味深い場所で、充実した旅行となった。

© 2009-2017 Osajiru All Rights Reserved.