四国の村に残る中世からの信仰ーいざなぎ流

高知県の北東部。ちょっと前まで 物部村 という地名だった場所がある。現在は 香美市
「物部」という名前だけで何かありそうな感じ。
地形的にも、険しい山々に囲まれていて、村の外と孤立している感じがある。

この場所に中世から延々の伝承し続ける民間信仰がある。
それは、「 いざなぎ流 」「 いざなぎ流神道 」という名前で伝わる。

こんなオカルト臭がする話、ボク大好き。
これだけでご飯が進む。

でも実際は、ボクに余分なメシを食わせるような、オカルトチックなものではない。
歴史の流れの中で自然に出来、色々な要因でたまたま生き残ってきた、貴重なこの地域の文化だ。

中世の頃は、今ほど物や人の行き来が自由にできないので、もっと地域地域で生活が自立していた。
生活慣習や文化も、その地で独自のものを持っていた。

神道と仏教などの影響を受けながらも、その地の生活習慣や文化を基にした信仰が各地にあったはずで、その一つがこのいざなぎ流だと思われる。

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地球の裏まで行き渡った安土桃山の日本人奴隷

伏見桃山城

白デカイ人達

16世紀。ヨーロッパは大航海時代真っただ中。
白デカイ人達が、十字架ぶら下げながら東アジアに進出してきた。
中国の裏っ側で、ひっそりと麻呂ったり、こっそりと武士ったりしていた日本は、本格的にヨーロッパに見つかった。

肉ばっかり食べているヨーロッパ人は、お肉のポテンシャルを最大限に引き出す 香辛料 をゲットするために、まず 東南アジア に進出した。

そして、ゲットしつつ、そこを拠点に 明と交易 して銭儲けも行った。

ヨーロッパ人達は、明が作る 陶磁器と絹 に、ヨダレが止まらなかった。
特に陶磁器は、焼いたお肉をお上品に見せる器として、ヨーロッパ人に引っ張りだこだった。

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マゲ着けて 江戸行くつもりが 世界一周3

出航

オホーツク

1795年、基地にいたロシア船が、毛皮をイッパイ積んで大陸に帰ることになった。

津太夫達もその船に乗せられた。
一歩前進過ぎる状態。

過酷な毎日を般若ヅラで生活していた津太夫達は、あまりの嬉しさに、一瞬にしてひょっとこヅラになった。

そのひょっとこ達を、ロシア人は日本のかたくなな鎖国政策に穴を開ける材料として使おうとしていた。

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マゲ着けて 江戸行くつもりが 世界一周2

人探し

北方民族

どげんかせんといかん。
彼らは小舟を作り、周辺の島々へ現地民探索に出た。

この漂流の中、死人も出ていた。
リーダーの 平兵衛 も病気で寝たきり状態。

まだ動ける船員を、一番年長の 津太夫 が率いていた。

延々と舟で探索していると、島から煙が立ち上っているのを見つけた。

「あれ焼き芋?」
「確実に焼き芋っしょ!」

津太夫達は騒ぎ出した。

漂流して8ヶ月、生魚ばっかり食べていた。
たまに積み荷だった米を食う程度。
海には甘くて温かいものは泳いでいない。
これだけ広い海なのに、一匹の芋も泳いでいないのだ。
芋が泳いでいたら、どれだけヘヴンだったか。

津太夫達の焼き芋欲が飛び出し、思考回路の色んなところをショートカットして、焼き芋やっていることになっていた。

「ホクホク!ホクホク!」

ゴールを見つけた津太夫達は、掛け声を合わせて舟を進めた。

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マゲ着けて 江戸行くつもりが 世界一周1

寿司が産まれる頃

1793年。
酢飯とマグロが奇跡の出会いを果たそうとしている、江戸時代ど真ん中。
丁度、徳川家慶が12代将軍になる頃。

若宮丸 は、木材やら米やらを乗せて、風に乗って南へ向かっていた。

若宮丸は宮城県石巻の海運業者の船。
石巻-江戸間ばっかりを行き来していた。
もちろん、この時も、石巻から江戸へ向かっていた。

今は11月。風がちょっとアゲインストな季節。
でも大丈夫。
だって、石巻-江戸間ばっかり行き来しているから。

この辺の天気や海流は、隅から隅まで把握している。
石巻-江戸間なら、オレたちの右に出る船乗り、フナライダーはいない。

若宮丸は、逆風の時には泊まり、順風の時には進んだ。

この前年、 大黒屋光太夫 という伊勢のフナライダーズでリーダーだった男がロシアから帰国していた。

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